東京地方裁判所 昭和46年(刑わ)5754号 判決 1975年3月25日
主文
被告人三名を各懲役三年に処する。
未決勾留日数中各二〇〇日を各本刑に算入する。
この裁判の確定した日から四年間右各刑の執行を猶予する。
訴訟費用中証人宮城米子に支給した分は被告人宮城の、同當間フミに支給した分は被告人當間の、同浦崎浩、同喜久村つる子に各支給した分は被告人喜久村の各負担とし、その余の証人に支給した分は、被告人三名の連帯負担とする。
理由
(被告人らの経歴等)
被告人三名は、いずれも沖繩県に生まれ、本土復帰のための島ぐるみの住民運動などを体験して成長し、高等学校卒業後、昭和四四年から同四五年にかけて、進学のため、あいついで本土へ渡つたが、折から、沖繩返還協定調印の問題が具体的な政治日程にのぼつてきたことや、沖繩問題に対する本土人の無関心さに痛憤したこともあつて、いずれも、政府の沖繩返還政策に反対し沖繩問題の根本的な解決を沖繩県出身者の手で勝ちとろうとする趣旨で発足した、沖繩青年委員会(昭和四五年二月発足。以下、沖青委という。)にあいついで加わつた。被告人らは、同年七月、東京タワーにおいて、天皇の戦争責任等を追及して、外国人を含む多数の民間人を刃物で脅迫した沖繩県出身者富村順一の行動を知るや、同人の思想にいたく共鳴し、以後、その裁判支援斗争等を通じて、互いに行動を共にするようになつたが、右運動の過程において、いわゆる沖繩問題の背後にある、第二次大戦中及び戦後における沖繩の悲惨な実状や、島津藩の侵冦以来の沖繩県民の受けた差別の歴史等を学習するにつれ、沖繩問題の根本的な解決を図るためには、政府の沖繩返還に真向から反対し、第二次大戦における天皇の戦争責任を徹底的に追及する必要があると考えるようになり、さらに、同四六年九月に予定されていた天皇の欧州訪問の旅行については、天皇の戦争責任を不問に付したまま、これを元首化し、日本帝国主義のアジア人民に対する新たな侵略を開始するものであると同時に、沖繩返還協定批准をめぐる国会における論戦から国民の目をそらせ、反対運動に水をさすねらいを持つものであるとして、これに強く反対するようになつた。
(罪となるべき事実)
被告人三名は、かねてからの自己らの政治的主張にも拘らず、天皇の訪欧が、近く実現される運びとなつたことに焦慮し、「天皇の戦争責任を糾弾し、その訪欧を実力で阻止する」等を内容とする抗議文(糾弾状)を携帯して皇居内に乱入したうえ、警備の皇宮護衛官らに抵抗して社会の注目を集めようと考え、いわゆる中核派の同調者である東京農業大学学生安藤正晴とも共謀のうえ、
第一、昭和四六年九月二五日午前一一時五七分ころ、各自前記糾弾状を隠し持つほか、ヘルメット、赤鉢巻着用、発煙筒、コカコーラのびん、ヌンチャク等を携帯したいでたちで、東京都千代田区一番皇居坂下門から、警備中の皇宮護衛官の制止を排して、皇居内に乱入し宮内庁正面玄関にまで至り、もつて、宮内庁管理部長高尾亮一郎管理にかかる、人の看守する建造物に侵入し、
第二、同日午前一一時五八分ころ、前記坂下門内及び宮内庁正面玄関付近において、皇居内の警備に従事中の皇宮護衛官遠藤時雄、渡辺満久ほか四名、及び警視庁第二機動隊所属警視庁巡査大津高幸が、被告人らの右犯行を制止し、これを建造物侵入の現行犯人として逮捕しようとした際、所携の発煙筒及びコカコーラのびんを投げつけ、さらにヌンチャクで殴りつけるなどの暴行を加え、もつて、同人らの前記職務の執行を妨害し、その際、右暴行により、遠藤時雄に対しては安静加療一〇日間を要する右前頭部打撲兼挫創、右前膊打撲の、渡辺満久に対しては安静加療一〇日間を要する左側頭部打撲兼挫創、左上膊打撲の、大津高幸に対しては、加療一〇日間を要する頭頸部外傷の各傷害を負わせ
たものである。
(証拠の標目)<略>
(法令の適用)
被告人らの判示第一の所為は、刑法六〇条、一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条により、昭和四七年法律第六一号による改正前のもの)に、同第二の所為のうち、公務執行妨害の点は、刑法六〇条、九五条一項に、各傷害の点は、同法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条により、昭和四七年法律第六一号による改正前のもの)に各該当するが、判示第一の建造物侵入と同第二の各傷害との間には、それぞれ手段結果の関係があり、また、同第二の公務執行妨害と傷害とは、一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段後段、一〇条により、結局、以上を一罪として、もつとも重いと認められる遠藤時雄に対する傷害罪につき定めた懲役刑の刑期範囲内で、被告人三名を各懲役三年に処し、同法二一条に則り、未決勾留日数中二〇〇日を右本刑に算入し、情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法二五条一項一号により、この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用して、主文のとおり判決する。
(主たる争点に対する判断)
一被告人らが立ち入つた部分を「邸宅」ではなく、人の看守する「建造物」であると認めた理由
前掲各証拠<略>を総合すると、(1)いわゆる皇居とは、その外周のほぼ全面を、濠と石垣によつて囲繞され、堅固な八個の門によつて外界としや断された三〇万坪を越える広大な地域であつて、国有財産法に基づき総理府が所管する行政財産であること、(2)その現実の管理責任者は、内閣総理大臣の委任を受けた宮内庁管理部長であること、(3)前記各門には、守門として皇居護衛官が配置され、その出入・通行には、厳重な規制がなされていること、(4)右皇居の内部には、天皇の住居とその囲繞地である吹上御所及び、吹上御苑、並びに、天皇の公的行事に使用される宮殿、さらに宮内庁庁舎、同病院等の建造物等が存在していること等については、おおむね検察官の主張に符合する事実が認められる。
しかしながら、右皇居内部の現実の地形、利用状況等を、さらに細かく検討すると、右皇居は、(一)天皇の住居である吹上御所とその囲繞地である吹上御苑、さらに宮中三殿、賢所、生物学御研究所等の、主として天皇の私的生活、行事に供される建物を中心とした吹上地区(全体の三割強を占める。)、(二)すでに一般の公園として開放されている束御苑を中心とした、乾濠、蓮池濠、蛤濠より東側の部分、(三)宮殿、宮内庁等主として天皇の公的行事に使用される建物を中心としたその余の部分の三つの地域に大別することが可能であり、右三地域は、互いに、濠、塀、門等のしやヘい物によつて明瞭に区別されており、相互の地域への通行は、各門及びその付近に配置された皇宮護衛官によつて、厳重に規制されている事実が認められる。したがつて、このように、互いに利用上の性格が異り、しかも地形上、警備上截然たる区別のある三つの地域を一括し、これを一個の邸宅であるとする検察官の主張には、刑法一三一条が廃止された経緯等にかんがみ、にわかに左袒することができない。
それでは、被告人らの行為については、右の点からただちに刑法一三〇条不該当となり、せいぜい軽犯罪法一条三二号違反の成否が問題となるに過ぎないのであろうか。当裁判所は、そのようには考えない。なぜなら、被告人らの立ち入つた坂下門から宮内庁玄関に至るまでの部分は、前記(三)の地域内にあり、右地域は、前記のとおり、天皇の公的行事に使用される宮殿と、皇室関係の国家事務等を掌る宮内庁庁舎(宮内庁法一条。なお、右宮殿と宮内庁庁舎は廻廊によつて接続されている。)を中心とした地域であつて、とくに右地域のうち中門、山里門、内苑門、山下通り、蓮池濠、供溜り、坂下門、二重橋濠(湟池)によつて囲繞される部分は、地形上ないし警備上、その余の部分とかなり明瞭に区画されているのみならず、その内部に、天皇の私的行事のための施設を一切含まないこと、その広さも、社会通念上前記両建物の囲繞地たる性格と矛盾するほど広大ではないこと等の諸点から見て、これを右両建物の囲繞地であると見るための法律上の妨げは見当らないからである。そして、前記のような皇居全体の管理状況から見て、右各建造物の囲繞地が、「人ノ看守スル」ものであつたことも、疑いのないところであるから、これをもつて、刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」であると解するのが相当であると考える。
なお、当裁判所は、検察官の邸宅侵入の訴因に対し、訴因の変更を命ずることなく、建造物侵入の事実を認定したが、右両罪は、いずれも同一の構成要件に属するだけでなく、とくに本件においては、場所的にも、後者は完全に前者に包含されていること、検察官の主張中にも、本件被告らの立入り部分が、宮殿とその付属物たる宮内庁庁舎等の囲繞地であるとの趣旨があらわれていて(第一二回公判における検察官の釈明)、ただ、これを独立の建物の囲繞地と見るか、その余の部分と一体をなすものとして見るかについて、当裁判所と、その法的評価を異にするに過ぎない場合であること、宮殿と宮内庁の周辺の地形ないし警備の現況等については、すでに取り調べた証拠によつて明らかなところであり、右のような認定をしたからとついて被告人・弁護人らの防禦の機会を不当に奪うことにはならないこと、等の諸点から見て、右のような措置は、法的に許されるものと考える。
二建造物侵入罪の成否に関するその余の主張について
弁護人は、(1)被告人らの皇居内への立入りは、「故ナク」侵入したものではないから、刑法一三〇条のいずれの構成要件にも該当しない、(2)かりに一応構成要件に該当するとしても、目的の正当性の強い場合であるから、正当行為である、(3)超法規的違法阻却事由がある、等の論拠を挙げて、被告人らは右訴因について無罪であると主張している。
被告人らの本件皇居への立入りの目的が、天皇の戦争責任を追及し、その訪欧を阻止する点にあつたことは、前認定のとおりである。そして、第二次世界大戦の開戦の経緯、旧憲法下における天皇の憲法上の地位等から見て、天皇に、右戦争の責任(法的ないし政治的、道義的)ありとする見解のあることは、周知の事実であり、被告人らが、右のような見解に同調して、天皇の責任を追及しようとする目的を抱くこと自体は、憲法の保障する思想及び良心の自由に照らし、格別これを非難すべき筋合のものではない。しかしながら、その目的が非難すべきものでなければ、いかなる方法・態様の行動も是認されるということにはならない。被告人らは、判示のとおり、ヘルメット・赤鉢巻着用、発煙筒・コカコーラのびん・ヌンチャク等を各自携帯したいでたちで、坂下門通行のために必要とされる所定の手続を一切とることなく、警備の皇宮護衛官の制止を排して皇居内に乱入したものであり、右のような態様の侵入行為が社会通念上許容される限界をはるかに逸脱していることは、多言を要しないところであつて、被告人らの行為は、右の点において、強度の違法性を具備し、結局、「故ナク」侵入した場合に該当するというべきであるし、また、右の侵入態様の違法は、弁護人の主張するような、ささいな行過ぎであるとは認められないから、その目的の点を考慮に容れても、正当行為として違法性が阻却されると解する余地はない。右の点に加え、被告人らの行為が、当時の置かれた状況において、自己の思想を表現するための唯一の方法であつたとは考えられないこと(補充性・緊急性の欠如)等から見て、本件について、超法規的違法阻却事由が存在するとも考えられない。右弁護人の主張は、いずれも採用できない。
三可罰的違法性の欠如ないし違法性阻却の主張について
弁護人は、被告人らの判示各所為は、法益の権衡、手段、方法の相当性等から見て、可罰的違法性を欠くとか、違法性が阻却されるべきであるとも主張する。しかし、被告人らの判示第一の所為のみについてすら、その手段・方法の違法性には看過し難いものがあることは、前段説示のとおりであり、被告人らが、判示二のように、警備の皇宮護衛官に抵抗して、これに傷害を負わせる等の実害を生じていることをも考えると、本件が、いわゆる可罰的違法性を欠如するような違法性の微弱な場合であつたとは、とうてい考えられないし、他に、該行為の違法性を阻却すべき特段の事情も認め難い。
四皇宮護衛官は公務員ではないとの主張について
弁護人は、皇宮護衛官は公務員でない旨、るる主張するが、皇宮護衛官が公務員であることは、警察法二九条二項、六九条二項、司法警察職員等指定応急措置法三条一項の各規定の文言上明らかなところである。この点に関する弁護人の論旨は、しよせん独自の見解であつて、とうてい採用できない。
(量刑の事情)
本件は、判示のとおり、天皇の戦争責任の追及等という特異な目的のもとに、皇居内の一面に乱入した被告人らが、警備の皇宮護衛官等に所携のヌンチャク等で抵抗して、三名に傷害を負わせたという事案であり、与えた傷害の程度、被告人らの犯行後の態度等から見て、犯情必ずしも軽くはないと認められるが、第二次大戦中及び戦後において沖繩県の置かれた特殊な立場、並びに右のような特殊な環境のもとに成長した被告人らが、本土に渡つた後に経た種々の体験等に照らすと、被告人らが、右のような思想を抱くに至つた経過には、ある程度無理からぬものがあること、被告人らの本件犯行の目的は、天皇問題等に関し世間の注目を集める点にあつたと認められ、皇宮護衛官らとの乱斗それ自体を目的としたものではないこと、被告人らがこれまで何らの前科前歴を有しない前途ある青年であること、被告人らの未決勾留期間が、一年近くの長期にわたつたこと、等諸般の事情を勘案すると、今回に限り、被告人らに対する刑の執行を猶予するのが相当であると考えられるので、主文の刑を量定した。
(永井登志彦 木谷明 雛形要松)